賭けからはじまるサヨナラの恋 氷の仮面とよくばりな想い

書き下ろしSS

総務のそれから

 総務の門番、氷鉄の女こと吉永さんが会社を辞めて半年以上が経った。
 ようやく吉永さんがいないことにも慣れてきて、うまく回りはじめはしたけれど、最初は本当に大変で、吉永さんを逆恨みする声すら上がるほどだった。慌てた課長が御機嫌取りに焦ってみんなにジュースを配ったが、しょぼいと逆効果だったり。
 しかし、時が進むにつれ、あの誰も受け入れないクールな吉永さんがどれだけ自分たちに気を配ってくれていたのか、残してくれたマニュアルを見てその細やかさにみんなが気づいた。
 そこから課の空気感が変わって、いつしか伝説の氷鉄の女となり、今でも頻繁に話題にあがっている。

 新入社員として入社した私も、もう先輩だ。春からは後輩も配属されて教える立場になった。そうなると、先輩としてのお手本となる理想像を描けば吉永さんしかでてこないのは当然で、頑張って吉永さんのように振る舞おうとしては偽クールキャラと言われ撃沈する毎日なのである。

「吉永さん、今ごろ何してるんですかねえ……」

 休憩時間中にみんなでご飯を囲む。総務は基本みんな仲がいい。食堂にお昼を持ってきたり、食べに行ったり。
 吉永さんは毎日デスクで食べていた。急な仕事が来るかもしれないからだ。
 みんなが吉永さんが一人でいるのを当たり前のように思っていたが、そうじゃない。それを当たり前にさせていたのが私たちだっただけだ。気づいても、もう遅いけれど。
 今はみんなでデスクを囲んで食事をしている。

「吉永さん実家に帰ったんじゃなかったっけ」
「スイカ農家だったっけ?」
「いや、神社の祓い専門とか聞いたよ?」
「それならスパイ斡旋とかどうです?」
「吉永さんって一体何者なんですか!」

 吉永さんを知らない新人のツッコミで場が笑いに包まれる、吉永さんの話になると、みんなが異次元の会話をしだすのも恒例だ。なんかこう『なんでも許されてネタになる』感がある。多分吉永さんがあまりに凄すぎたせいだろう。

「あーあ、戻ってきてくれないかなあ……」

 ポツリと誰かがこぼすと、みんなが同調する。
 今だったら、吉永さん一人におっ被せて楽なんてしない。ちゃんと頑張るから。いまさら気づいても遅いけれど。
 シーンと場が静まって、みんな罪悪感を心の中に持っているのがわかる。

「あっ、そういえばなんですけど!」

 重くなった空気を変えるように新入社員の女の子が軽やかな声で話しだした。

「営業にすっごいかっこいい人いるじゃないですか!」
「あー、里村さんね!」
「です! かっこいいですよねえ! 私すごい好みで!」
「去年までだったらチャンスあったかもだけど……」

 里村さんは社内で一番人気があって、気づくといつも彼女が変わっていることで有名だったらしい。
 私が入社してからはそんなこともなかったから、その話を聞いて信じられないという顔をする新人の気持ちはわかる。

「去年の夏くらいかなあ、そこら辺からずっと彼女いないんだよね」
「冬頃には結婚を前提に付き合ってる人がいるって告白断りだしたらしいよ」
「あの里村さんにそこまで言わせるってすごいよね!」

 残念な顔を隠すこともない新人をよそに盛り上がる。人の話は面白いものだ。
 ましてやあの里村さんのこととなれば。
 そういえば、と先輩が自分の椅子を叩きながら言った。

「去年の夏、よく吉永さんと里村さん一緒に見かけたよね?」
「見た! デスクにまで来てたよ?」
「私の椅子つかってた!」

 吉永さんが会社を辞めてしまって以来、里村さんが総務に私用で訪れることはなかった。

「付き合ってたのかなあ、って思ったけど違ったみたいだしね」
「吉永さんと里村さんじゃ性格合わなそうだよ」

 里村さんの首に紐をつけて散歩している吉永さんを想像してしまって、慌てて打ち消した。

「休憩中にすみません。急ぎで一件お願いしたいことがあって」
「はい……って、あれ? 里村さん? 珍しいですね」

 そこには、営業部の微笑み王子こと里村さんが立っていた。
 新人ちゃんの瞳がキラキラしている。いやいやだから彼女いるってばー!
 はぁい、なんて音符が飛んでるような声をだして、まだわかってもいないだろう書類を貰いに立ち上がる。

「じゃあ、お願いします」
「はぁい!」

 用件が終わればもう用はない。くるりと振り向いて総務を後にしようとする里村さんに新人ちゃんが声をかけた。

「里村さんって彼女さんいるって本当ですか?」

 おおおい! なんてことを聞くんだ! 若さと可愛さってすごい!
 対して里村さんはもう何度もやりとりしているのか、なれている様に頷いた。

「いますよ。……すごく可愛い恋人が」
「そうですかあ……」
「それじゃあ失礼します」
「待ってください!」

 シュンとしたのは一瞬で、立ち直るのも早かった。
 なんとか会話を続けたいのか、さらに里村さんを引き留めて何か話題になることを探して閃いたのは、今話していた話題だったらしい。

「吉永さんって、里村さん仲良かったんですかあ? 伝説の人だって今聞いてて! 私も会ってみたかったなあ! みたいな!」

 よりによって吉永さんをぶっ込むとはやるな! でも仲が良かったみたいだし、もしかしたら本当に吉永さんが今なにしてるか知ってたりして。

「吉永さんってどんな人なんですか?」
「どんな人って……」

 今度はしばらく考え込んで、里村さんが言った。
 そして爆弾発言。

「とても可愛いよ。俺が一番大事にしたい人」
「……え?」
「毎日俺を幸せにしてくれる人だよ」
「……え? え?」

 みんなが呆然としている隙に里村さんは去っていった。

「え? 里村さんと吉永さん付き合ってたの?」
「どういうこと⁉︎ え、いつから! みんなに、回さなきゃ!」
「毎日って同棲してるの? 大ニュースじゃない」

 使命感に燃え、ダッシュで他の階を駆け巡る先輩をよそに、私は新人ちゃんの肩をポンと叩いた。

「吉永さんじゃ、絶対勝てないよ」

 その後、総務から駆け巡った里村さんと吉永さんの話は、多分里村さんの思惑通りに全社員が知ることとなったのである。